|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 浜 : [はま] 【名詞】 1. beach 2. seashore ・ 倉 : [そう] 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator ・ 倉敷 : [くらしき] 【名詞】 1. storage charges ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
万寿(ます)は、岡山県倉敷市倉敷にある地域である。おおむねかつての都窪郡万寿村(ますそん)に相当する。現在は大半が倉敷市立万寿小学校および万寿東小学校区となる。 ==概要== 大内(おおち)、川入(かわいり)、寿町(ことぶきちょう)、北浜町(きたはまちょう)、日ノ出町(ひのでちょう)、浜町(はままち)、浜ノ茶屋(はまのちゃや)、大島(おおじま)、平田(ひらた)、福島(ふくしま)、昭和(しょうわ)一丁目からなる。昭和二丁目、美和、幸町、八王子町、日吉町、石見町は旧万寿村域であるが、現在では昭和二丁目・美和・幸町は倉敷、八王子町は中洲、日吉町・石見町は老松となる。 中心市街地の北部に位置し、中心市街地と北部郊外の間にあたる。立地の良さから、現在では商業地・企業・宅地が立ち並ぶ市内有数の人口集中地域となっている〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 総和48年には、人口の大幅増に対応するため、小学校区を分割し新たに万寿東小学校を新設した(幼稚園も同様)〔学校要覧|倉敷市立万寿東小学校 〕。 現在平野部である当地は、古代から中世まで海域であったが、中世後期に宇喜多秀家により干拓され、陸続きとなった。地名の由来は、中世に周辺一帯に存在したとされる荘園の万寿庄(ますしょう)である〔。 明治時代の、明治22年6月1日に都窪郡(窪屋郡)の富久(大内・川入・八王子・日吉・石見町)・浜・平田・大島・福島各村が合併し万寿村となった。昭和になると、昭和2年4月1日に倉敷町へ編入、同3年4月1日に市制施行で旧倉敷市となり、同42年2月1日に新しい倉敷市となり、現在に至る〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「万寿 (倉敷市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|